幸福とは寓話であり、不幸とは物語である。
トルストイが指摘した
「幸福とは寓話であり、不幸とは物語である。」
私は村上春樹さんの本はあまり読んだことがなかったのですが、情報量の多さに驚きました。
この感想は、長くなってしまいそうなので今回はテーマについて話そうと思います。
私は、この言葉を見た時なるほどなどとても共感しました。
私は、まず気になる言葉があったら辞書で調べるようにしています。
そして今回はこの2つを調べました。
寓話
→教訓や風刺を含んだ例え話。擬人化された動物や非生物などが主人公になる。
物語
→①昔から語り伝えられている話
②作者の見聞や想像を基にして人物や事件について叙述した散文作品。
③ある事柄について話すこと。またその内容。
私は、意味的に深く考えて見ました。
まずは「幸福とは寓話」について考えてみます。
幸福は忘れやすい物事であり、気づきにくい事であると思います。
例えを出すなら、頭の上にあげていた眼鏡を探すようなものでしょう。
それは、意外にシンプルですがシンプルが故に得られるものは多いです。
例えで得られたものは、まさに灯台下暗しですよね。
しかし、その得られたものを覚えておくのは難しく忘れてしまうのが人間です。
幸福を忘れないようにしたいがための寓話という表現なのかなと私の中で定まりました。
よって、「幸福とは寓話」なのだと思います。
そして、「不幸とは物語」の部分について考えてみます。
不幸とは、記憶に残りやすい物事であるから最終的に多く感じるものだと思います。
テレビのニュースは、ハッピーなニュースより悲しいニュースの方が圧倒的に多い気がします。
それは、私自身の問題でもあると思うのです。
つまり、私は悲しいニュースの方が記憶に残っているのではないか、ということです。
意識的に記憶した覚えはありませんが、思い出すのは殺人事件であったり、交通事故など悲しいニュースばかりでした。
それに、私の今まで生きてきた思い出も失敗しことや辛いことはすぐに思い出すことができますが、幸せなことはすぐにはたくさん思い出せません。
これは、皆さんにも心当たりがあると思います。
人の不幸は蜜の味。
この言葉は私は嫌いですが、この習性をしっかり捉えた言葉だと思います。
つまり、この世にはたくさんの物語がある。
そして、私たちの記憶には多くの不幸の記憶が残っている。
だから、「不幸とは物語」になるのではないかと思います。
上記のように言いつつも、私は幸福な物語を求めていると思います。
私は、悲劇より喜劇が好きなタイプだからです。
幸福な話がたくさん出てくるということは、幸福をたくさん見つけられている人が増えているということです。
そんなことが形として残るのはとても素晴らしいことだと思います。
でも、幸福があるから不幸があると言うなら…と考えるとまた迷宮に戻ってしまいました。
これは、読者さんが少し考えて見てはいかがでしょうか。
人によって違う意見だと思うので私は今はここで止めようと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
また次のブログでも読んでいただけると嬉しいです。
皆さんが少しでも幸せと感じられる日々を過ごせますように。
また次の機会で。