主観と客観
近いものは、早く動いて見える。
遠いものは、遅く見える。
これは、とても当たり前ですよね。
私は、この当たり前のことについて今日1日考えていました。
いや、半日にしときます。
私は、外に出ると人は本当に忙しなく動いているなと思います。
そして、私もその一員にならなくてはならないと心を責め立てます。
私は、その一員になりたかったんです。
しかし、忙しなく動いている人は忙しなく動いていると意識している人ばかりではないと思います。
確かに、エリートのサラリーマンや社長さんとかになってくると分刻みで動いているでしょう。
でも、休日を楽しんでゆっくりとしている人もいるでしょう。
そんな人にも、同じように忙しなく動いているなと思ってしまうことについて考えてみたのです。
私は、私自身についてはそれなりにわかるつもりです。
私が今何を望んでいるのか、
私が今何を望んでいないか…
色々と考えることはありますが、私が私を1番知っているというのは事実だと思います。
しかし、他人はわからないのです。
特に友達だもない人になってくるとさらにわかりません。
つまり、私は思い込みで人はさわさなく動いていると思ってしまっている、主観的に考えているということなのです。
そして私は主観を「近い」、客観を「遠い」と定義して考えました。
私は、主観的に人は忙しなく動いているから「近い」=早く見えるということではないかと思いました。
そして、ここでは神の視点という表現をしますが世界全体を第三者として見ることのできる存在という意味です。
神の視点で世界全体は「遠い」=遅く見えているのではないかと考えました。
東京タワーに登った時、人はほぼ動いていないように見え「ジオラマを見ているようだな」と思うことはないでしょうか。
私が思うことはつまりそうゆうことなのだと思います。
これは、考え方次第で他のことでも当てはまります。
ですが、これを書いてしまうときりがないので読者さん自身で考えてみてください。
私も気づかなかった発見がたくさんあると思うので私にそれを話してくれたらとても嬉しいです。
もう少し話したいことがあるのですが今回はここまでにしたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
次も、読んでくださると嬉しいです。
皆さんの日常が少しでも幸せに感じることができますように。
また次の機会に。