語彙の不足を感じる日々
私は、今の私が持っている言葉の限界を感じます。
例えば、友達と感想を言い合う時です。
いつも私は、
「感動しかない。」
「あの最後には驚かされたわ。」
など、抽象的に表現をしてしまいます。
この感想を聞いた同じ映画を観た友達は共感してくれるかもしれない。
しかし、映画を観ていない友達に、その映画を勧めたい時その良さを伝えられているでしょうか。
私は、よく漫画や小説をよく読みます。
そして、沢山の良作に出逢います。
涙を流しながら読むものや、1ページ1ページにクスッとした笑いを与えてくれるもの…
それを、出来るだけたくさんの人と共有したくなり、出来るだけ良さを伝えます。
でも、聞いた人はだいたい
「そうなんだ」
と、相槌を打ち、その後LINEや会話でどうであったか伝えてくれる人はほとんどいません。
しかし、世の中には人に物事を伝える人がごまんといます。
そんな人間で、世界が成り立っていると言っても良いでしょう。
例えば、商売をしている人。
商売をするということは、何かを売り買いすることだと思います。
ということは、商売人というのは人の心を動かす人間でもあり、動かされる人間ではないかと思うのです。
当たり前ですが、商売人も物を買います。
その商売人は、それを他の人に売ります。
それは、本当は凄いことなのだと思います。
どこにでも売っている商品であっても、その商品をここで買わす技術を持っていなくてはならないのです。
「当店では◯◯円安くなっております。」
であったり、
「◯◯がおまけでついてきます。」
などです。
お客さんは、それにつられてそのお店で買おうとします。
つまり、言葉は人を操ることができるということです。
いたって当たり前のことですよね。 笑
でも、私にとってこの事実が特別に思えたのです。
外にはお店が沢山あってどこも何かしらのよい情報を提示している。
そして、良い情報に動かされる。
そんな時、私は本当に単純な生き物だなと思うのです。
、皆さんも、広告を見たり、ネット通販を見たりしてよく買ったりしてしまいませんか。
その時、貴方はどこまでその商品のことを知っているでしょうか。
良い面しか見ていないことはありませんか。
もしそうであったなら、私と同様に言葉の力に操られている人間なのでしょう。
本当に、不思議ですね。
いつのまにか操られている…別段気にしていない限り人間は甘んじて操られてしまいます。
心の防衛機制は、危機的状況下にいなければ働かないということがわかりました。
話は戻りますが、私の言葉にはあまりにも情報が少ないのです。
なので、操られることはあっても操ることはないという事です。
それはとても悲しく虚しい事だと思いました。
人と気持ちを共有することが少なく、人を理解する能力も低いということだからです。
私はそんな人間を嫌悪しているはずなのに、その嫌悪する人間になっていた事実がどうしようもなく辛いです。
なので、それを打開すべく最近は語彙の本を借りて語源や、類義語など知り、ノートに書き取るようにしました。
何事も行動あるのみと意気込みやってみると、言葉は奥深い物ですね。
…と、長くなってしまいましたね。
この先は、次のブログで話すとします。
稚拙で、当たり前のことしか書いていないですが温かい目で見守ってくださるとありがたいです。
この日々を生きている人が少しでも生きやすくなりますように。